優秀賞
選評 小松成美(総合監修)
サークルで飲んで帰った女子大生と、旧友と会っていた祖父。上星川の駅で偶然に会ったことから始まる80歳の祖父と20歳の孫娘との夜の散歩。
日常のワンシーンが描かれた文章は、まるでロードムービーを観ているような楽しさがあります。最終バスを逃した2人の“小さな旅”はどこに向かうのか、寒々しい夜の道と吹きぬける風を想像しながら、途中で起こるさまざまな出来事に思いを馳せ、読み進んでいきました。
十三夜の月、昔食べた団子、普段なら徒歩では昇らない急な坂道、どこからか漂う金木犀の香り、工事がすすむ羽沢の新しい駅。
目に留まる光景は、健脚な祖父とサークルを楽しむ女子大生にいくつもの記憶を呼び起こし、特別な時間を演出していきます。
リケジョの孫娘が、祖父と自分の歳を足した100歳を、何日、何時間、何分を割り出していく描写は、いとも簡単に「100年」という時代を紡ぎ出し、感嘆しました。
スマホを片手に100年を導き出し100年=52,596,000分と祖父に伝える女子大生の姿は新鮮で、膨大な数字の羅列と人生の時間の交錯に静かな感動を覚えます。
家族の待つ家に戻り、またいつもの朝を迎えるはずの孫娘と祖父。一夜の出来事の背景には、三世代が暮らす一家の朗らかな日常が浮かび上がり、読む者の胸にあたたかさをもたらしました。
1917年12月に創立した相鉄線は、2017年12月に100周年を迎えました。「52,596,000分の夜と朝」の筆者が、大正6年から平成29年の相鉄100周年を思ってこの物語を紡いだのか否か、審査の最中に話題になりました。
選評 小松成美(総合監修)
飲み会の果ての電車の乗り過ごしとシティー温泉での夜明かし、スマホ電池切れからの会社無断欠勤。破天荒でドジな女子新入社員の非日常には、とてつもない勢いがあり、予測不能で、なにが起こるのだろうという好奇心が一気に沸き起こりました。
埼玉から憧れの横浜に移り住んだ働く女子は、横浜という街のイメージと自分が借りたマンションとのギャップに舌打ちしますが、真夏のイングリッシュガーデンに誘われ、なけなしの500円で入場したことで“唯一無二の出会い”を経験します。
この場面転換の鮮やかさが、本作の真骨頂でしょう。花もついていない薔薇の枝葉に顔を寄せる女子と白髪の老婦人とのカフェタイムは、彼女を開放し、仕事をサボった微かな罪悪感も四散させます。
テンポ良く綴られる昨夜の失敗談や老婦人の孫の話や老舗の商店街や昔の田園風景は、読み手が持つ“横浜”への愛着と相まって誇らしい気持ちが喚起されていきます。老婦人から手土産にと手渡される小さな薔薇の鉢植え。紅い薔薇の花を思い、晴れやかな気持ちになりました。
もう二度と働く女子と老婦人が出会わない潔さも物語を際立たせています。
働く女子が結婚と出産を経て家族で移り住む街が、老婦人と出会ってから度々訪ねたイングリッシュガーデンのすぐ側であること、その”予測可能”なハッピーエンディングに爽快感があります。
帷子川の川面の光りと相鉄線の通り過ぎる音が、彼女の幸せの背景になっていて、胸に迫りました。